遠友夜話14 パールハーバー

「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」。安倍首相が2016年12月27日(日本時間28日)ハワイのパールハーバーで行ったスピーチで、リンカーンの言葉を引用した。訳こそ我々が慣れ親しんだもの(何人(なんぴと)にも悪意を抱かず、全ての人に慈愛を持って)と違うが、もとは同じ、リンカーンの:”With malice toward none, with charity for all”という言葉である。この言葉こそ、新渡戸稲造が筆で揮毫し、我等が札幌遠友夜学校の教室に掲げられていた扁額の言葉である。平和と和解に相応しい言葉である。

 

安倍首相はまた、「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。」

と、決意を語った。素晴らしい誓いである。この誓いを決して、決して裏切ることの無いように願いたいものである。

 

戦後、日本が「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」と世界に誓ったのは、「日本国憲法」においてである。「ひたすら、不戦の誓いを貫いて参りました」のは「日本国憲法九条」があればこそである。まさにこのような憲法を持つことに「静かな誇り」を感じ、「この不動の方針をこれからも貫いて参り」たいものである。

 

全体として、哀悼の意、不戦平和の誓い、寛容の心、和解の力、を強調した良い演説であった。特別機密保護法、平和安全法制と呼ばれる戦争準備法制、駆けつけ警護、そして、日本国憲法九条の不戦の誓いを撤廃しようと言う憲法改悪を主導する人物の言葉とはとても思えない。と、言いたい所だが、実は予想どおり。この人物は状況に応じて心にもないことを語る二枚舌の達人だ。だまされてはいけない。尊王攘夷といいながら、天下を取ったらころっと態度を変えて開国をした人々の流れを汲む政治家である。鬼畜米英といいながら、負けると、ころっと態度を変えて、アメリカ様様。そのアメリカ様に憲法改正を迫られると、「現行憲法はアメリカの押しつけだから変えなければならない」という。今度はアメリカの意を汲んだ「自主制定」ですか?

 

我々はおぼえておこう、安倍首相のこの演説を。この不戦の誓いを。今度約束を違えたら、二枚あろうが三枚あろうがその舌の根を引っこ抜こう。

 

話は変わるが、オバマ大統領は演説の中で、「『憎しみに心が煮えたぎる時にも、民族主義が高揚して来た時にも、内向きになってはいけない。自分たちと違う人々を悪人に仕立て上げてはいけない』と言うことを思い起こさせてくれる場所がここ(パールハーバー)だ」。「全ての人々に共通の尊い光を目指し、お互いのために努力しなければならない」と、次の大統領とは大違いの崇高な精神を語った。意図したかどうかは別として、これはそのままトランプ氏への警鐘を含んだ鼻向けの言葉になろう。このオバマの言葉もまた、リンカーンの「何人(なんぴと)にも悪意を抱かず、全ての人に慈愛を持って」と同じ心の異なる表現である。

 

我々は、この言葉を引用した安倍首相は、当然、この言葉と思いを同じくするからこその引用であると信じよう。日本至上主義的ナショナリズムを煽り出したら、この言葉を思い出していただこう。

 

再び話は変わるが、パールハーバー奇襲は、当時のアメリカ上層部に取って奇襲でもなんでもなかった。宣戦布告の情報は在米日本大使館より先に傍受されていた。ルーズベルト大統領は主要艦は既にサンフランシスコに避難させていたが、現地の兵士には何も知らせなかった。日本のアンフェアーな奇襲を演出するために。そして、「リメンバー・パールハーバー」と、対日戦に民心を統一したという説がある。それが事実らしいが、まさに、二枚舌である。今回の安倍首相の演説を聞いて、パールハーバーが政治家の二枚舌が民心を惑わすために使われた場所という黒いイメージにならないことを切に願うものである。(毒舌学者)

3 件のコメント

  • With malice toward none ,
    With charity for all.
     これはリンカーン大統領2期目の就任演説の一部で、ワシントンのリンカーン記念堂の壁にも刻まれている。安倍首相は、真珠湾の演説でこの言葉を引用した。だが、首相が日本語で語った訳文は次のようなものであった。
     「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」
     実はリンカーンのこの言葉は、新渡戸稲造夫妻が明治27年に設立した札幌遠友夜学校の玄関に扁額として掲げられていた。新渡戸自身が英文で揮毫したのである。夜学校は昭和19年に軍部の間接的指導もあって閉校になったが、扁額自体は現在、北大の文書館にある。
     私は1995年に多くの遠友夜学校関係者の協力を得て、『思い出の遠友夜学校』という書物を編纂したが、そのグラビアには「With malice・・」の扁額を写真で掲載し、その日本語訳として次のように書いた。
    「何人にも悪意をいだかず、すべての人に慈愛をもって」
     英文がわかる人ならば、先の安倍演説では「for all」のところが飛ばされていることを知るだろう。なぜ、そうした捻じ曲げを行ったのか。
     愚論を述べれば、「すべての人に慈愛をもって」と訳せば、安倍政権が進めてきた生活保護世帯、高齢者など弱者に対する冷酷な措置と矛盾するからではないか、と思う。
     それにしても、このようなリンカーンの言葉を恥ずかしくもなく引用するとは、安倍首相のポピュリスト(大衆迎合主義者)ぶりは、たいしたものである。
     12月30日付けの日本経済新聞によると、安倍首相の真珠湾訪問を「評価する」としたものは84%、内閣支持率は6ポイント上がって64%になった。真珠湾訪問は点数を上げた。

  • 安倍さんの演説の原稿は、おそらく彼自信が書いたものではないでしょう。スピーチライターが書いたものと思います。「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」という訳は三島先生の訳に比べ格段に格調が低いですね。訳者の語学力の問題かもしれません。for allが訳されていませんが、冒頭の「誰に対しても」が「慈悲の心で向き合う」にもかかると解釈できるので、for allは訳さなくても意味的には原文とほぼ同じでしょう。「すべての人に慈愛をもって」と訳せば、安倍政権が進めてきた生活保護世帯、高齢者など弱者に対する冷酷な措置と矛盾するからではないか、とのことですが、安倍演説の訳のままでも十分矛盾します。矛盾していることに良心の呵責を感じて、for allを訳さなかったのだとすれば、まだ救いがあります。こうした矛盾を臆面もなく述べるのが彼であり、だから怒りを感じるのです。

    スピーチライターの語学力は別として、「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」「不戦の誓い」「戦後70年の平和国家」を「不動の方針」として貫いてゆくという誓いをこの演説に入れ込んだことはスピーチライターの大きな功績です。今回は国内向けの発言ではなく、世界に向けての発信です。日本の代表として安倍さんは世界中の人々に言質を取られた格好になります。我々はこの誓いを実行させなければなりません。二枚舌は許されません。これを次の選挙に勝つための方便にさせてはならないのです。勝ったら「不動の方針」をコロっと変えるという彼らの常套手段を実行させてはならないのです。

    この安倍演説の「平和宣言」を高く評価し、内閣を支持するとした善良な日本国民には、これでただ安心するだけでなく、しっかりと、内閣が誓いを守るかどうか監視し、実行させる責任があります。安倍首相のパールハーバーに同道した稲田防衛相が帰国後直ちに靖国参拝をしました。こうしたことを稲田一人で決めるわけがありません。安倍首相が「平和」に寄りすぎだと感じるかもしれない右翼のために、防衛相を参拝させ、バランスをとるという、内閣のシナリオにのっとったことでしょう。安倍昭恵さんの「家庭内野党」の宣伝のように、幅広い相から支持率を確保するための作戦であると思います。こうしたことにも目を配り、包括的に内閣を監視する必要があると思います。

  • 「全ての人々に共通の尊い光」:「全ての人々が心の中に共通に持っている崇高な輝き」すなわち、「平和を求める心」とか「愛」「人類愛」を意味すると思われます。

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