遠友夜話5 腰痛

遠友夜話, その他

アウトドアのシーズン到来とばかり勇んで車にキャンプ用品などを出し入れしていたらバチが当たった。腰痛再発。数年前の入院以来だ。その時よりひどい気がするが、入院してもベッドに寝ているだけなので、今回は自宅で頑張ってみることにした。数年前の腰痛の原因は、北大恵迪寮同窓会で、寮歌「都ぞ弥生」100周年を記念して、この寮歌のできるまでをドラマにしようという話が持ち上がり、制作費のための寄付集めをしようということになったことに関係する。第53代応援団長の氏平氏が、企業から寄付を集めるだけではなくて、我々も何かして金を作ろう。JAの出面農作業をやって稼いだ金を寄付しようという提案をしたのだ。北大卒業後40〜50年のロートル。それなりの社会的地位を経験した集団である。ホワイトカラーの、もっと実入りの良いアルバイトがありそうなものなのに、なんと泥臭い提案ではないか。その泥臭さに惹かれて「それは良い」と私は即座に同意した。何も多数決を必要とするような提案ではない。ポケットマネーをすぐに出したい人は出せば良いのである。しかし、人様の苦労して稼いだ金を寄付して貰う訳である。我々もそのありがたみを体で感じよう。希望者は氏平氏を含めて3人だった。我々は早速JAの出面に登録した。

あの年の夏は暑かった。JAから連絡があって、援農が必要な農家を知らせてくれる。広大な畑の草取り、これは辛い。炎天下、地面に這いつくばって、地面からの照り返しを受けながら、草を手でむしるのだ。北海道の畑は広く、畝は延々と続く。そういえば、昔、オレゴン大学に留学中の夏休みに、いちご畑でアルバイトをした。そこでの草取りは、ホーと呼ばれる鍬のようなもので草の根を切り、その場に放置するだけの草取りだった。あの方がずっと楽だったなあ。翌日、さすがの氏平氏も相当こたえたと見えて、「ちょっと来い」という。向かったのは北大の産学協働研究施設。そこに、作業補助装置を研究している先生がいた。氏平氏の元同僚だろう。氏平氏は「我々が試してやるから、あの装置を貸せ」というのである。先生が取り出してきたものは大リーガー養成ギブスみたいな代物であった。装着すると確かに安定感があり、腰には良さそうだ。伸び縮みする素材で出来ているので、多少の筋力補助にもなる。しかしこれを装着して作業するのかあ?

翌日は二人同じ農場だった。二人であの装置を装着して、サイボーグみたいになり、それに麦わら帽子という異様な格好で恵庭の農家に出向いた。農家の方はなんと思っただろう。何も言わなかったが。作業終了後、氏平氏がこの装置の宣伝をしていた。農家の人は興味なさそうだった。この装置のおかげかどうか、作業は前日よりは楽だった。ただし、なんだか窮屈で装着感はよくない。かぼちゃの箱詰めもこの装置装着でやったが楽だったような気がする。ある日、氏平氏とは別の農場に行くことになった。そろそろ窮屈なあの装置にも飽きてきたので、その日は装着しないで草取りをした。そのバチが当たったのか、翌日は腰痛で歩けない状態。入院となった。

という訳で、今回は入院しないで自宅にいる。少しは良くなったが、キャンプにはいけないので、インターネットの中をさまよい、2つの論文を見つけた。一つは加藤秀俊氏の「新渡戸稲造と大学解放」、もう一つはPatrick T.J. Browneの”Cultivation of the Higher Self: William Smith Clark and Agricultural Education” というものである。実は今回このことについて書こうと思って筆をとったのであるが、長々と腰痛の話をしたのでそこまでには至らなかった。そこで、アメリカと北海道での農作業で考えたことを少し付け加えることにしよう。

クラーク博士やエドウィン・ダンの指導によって開かれただけあって北海道の農場はアメリカのそれとよく似ている。大規模で、大型機械の力が必要で、でも細かい作業には人手もいる。私が留学していた当時のオレゴンのいちご農場では、収穫は人手で行っていた。Migrant laborer(季節労務者)と呼ばれる最下層で必死に生きる人々と、ポートランドの下町に吹き溜まりのように集まったワイノーと呼ばれていたホームレスの人々を使っていちごをつんでもらう。賃金は出来高制だが、時給に換算すれば当時の最低賃金を下回っていた。しかし農家の台所もそれ以上を支払う事が出来るほど余裕はないようだった。農家で2ヶ月アルバイトをして、資本主義の矛盾を見たと思った。

北海道の農場も大変なようだ。各種大型機械が各農家にたくさんある。その購入費のローン、メインテナンス費用だけでも相当額にのぼるだろう。重労働の出面の賃金も、最低賃金でも支払いは大変なのであろう。しかしなぜ各戸がそれぞれ農業機械一式を揃えなければならないのだろうか。共同で所有はできなかったのだろうか。国の政策で大型化も機械化も推進されてきたのだろうが、農家は借金づけ、機械メーカーは大儲けという結果になっているようだ。それに輪をかけて大変なのが後継者不足だ。高齢の農家が高齢の出面を使ってやっと農業を続けている。国はTPP対抗策として農業の大規模化を進めるというが、農業の大規模化は既に北海道で実験済みである。必ずしも成功していないのは一目瞭然であろう。大規模農業は機械化だけでは成り立たず、低賃金の労働者がいなければ成立しないシステムである。それも、農繁期だけ。このまま進めば日本にも季節労務者が出現するかもしれない。あるいは、外国人労働者の出稼ぎをひどい待遇で使用しはしないかと心配である。

北海道の農村の過疎化は深刻だが、クラーク博士が札幌に来た頃の、彼の故郷ニューイングランドの農村の過疎化も深刻だったようだ。工業化で当時急速に発展しつつあった都市部へ、そして、当時開拓が進んでいた西武へと農民が流出したのである。クラーク博士は地域のリーダーとして、過疎化を防ぎ、農民の地位を向上させるために並々ならぬ努力をした。このことについては次の機会に紹介する。(毒舌学者)

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