「クラーク先生も少々化けの皮がはげて来た」と語ったのは、マサチューセッツを訪れて「あのクラークが植物学を教えただって?」とあきれるクラークの知人の言葉に惑わされた内村鑑三である。しかし、本当の化けの皮がはがれたのは、そのクラークの知人と内村鑑三であった。実は、クラークはアマスト大学在学時代こそ鉱物の研究に熱中していたが、少年時代から大の植物好きであった。高校時代には多くの植物標本をつくっている。そして、大学卒業後、鉱物化学の研究で博士号を取るべくゲッチンゲン大学に留学するのであるが、その途上、ロンドンを訪れた際に、キュー王立植物園で、栽培50年にして初めてヴィクトリアレギア(オオオニバス)の花が開花したとのニュースを聞きつけ、その植物園の温室を訪れている。その見事な花を目撃してクラークは、自分は鉱物に関する知識を生かして、西部で一旗揚げようと思っていたが、この花を見て、このような花をアメリカに温室を設けて咲かせてみたい、と、眠っていた植物学への情熱が再び沸々とわき上がってくるのを禁じ得なかった。彼はゲッチンゲンで、鉱物化学で博士号を取るための研究の傍ら、植物学も勉強した。それ故、帰国後、アマスト大学で化学に加え、生物学をも教えることが出来たのである。更に、マサチューセッツ農科大学で教鞭をとるようになってから、樹液の循環の研究やカボチャを使った植物体内の浸透圧の研究など、画期的で高く評価された植物生理学の研究を行っているのである。彼の教え子で札幌農学校に教師として来たペンハローは帰国後著名な植物学者となるのだが、論文の中でクラーク博士のことを科学的農業の生みの親として高く評価している。クラーク博士は植物学を教える十分な資格があった訳である。
「化けの皮」と言えば、ごく最近、化けの皮がはがれたように見える人物がいる。首相夫人の安倍昭恵氏である。「夫と私は別人格」「家庭内野党」などと世間にのたまわり、首相の右翼的指向性を危ぶむ民意を緩和させるためにご活躍中である。昨年末の遠友夜話14「パールハーバー」のコメント欄にも安倍昭恵さんの「家庭内野党」の宣伝を幅広い相から支持率を確保するための作戦であると書いたが、それを裏付ける様な事実が明るみにでて来た。
安倍昭恵氏は国有地格安払い下げ事件で今や話題の森友(もりとも)学園の瑞穂の国記念小学院の名誉校長を務め、そのホームページには彼女の顔写真とともに「籠池先生の教育に対する熱き想いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。 そこで備わった「やる気」や「達成感」、「プライド」や「勇気」が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております」とするメッセージが書かれてあった。(今、このメッセージも顔写真もホームページからは消えている。問題となって、名誉校長を辞退したようだ)。これだけ読むと、何の問題もないように思えるが、気になるのは、彼女が感銘を受けた「籠池先生の教育に対する篤き思い」とは何ぞやと言うことである。
国家神道の重鎮達が多数参加する「日本会議」の役員でもある籠池泰典という人物の教育思想はこの学校のホームページにある「教育の要」から読み取ることができよう:教育の要「天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ。伊勢神宮・天照大御神外八百万神を通して日本人の原心(神ながらの心)、日本の国柄(神ながらの道)を感じる。
愛国心の醸成。国家観を確立。
教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)。道徳心を育て、教養人を育成。
「大學」素読による人間学の習得。
大祓詞・般若心経朗唱宗教的情操の育成。
日本人の心の中心である伊勢神宮からほど近い松阪の地ですくすく育った杉の木・檜をつかった木造伝統建築の校舎や和風装飾物・校庭木による日本人DNAの呼び覚まし。
国際語である英語を学ぶことによる国意識の構築。
将棋・算盤などの歴史・伝統文化による教育
剣道・ラグビー・体育文武両道の達成。
和太鼓・西洋楽器の演奏・鑑賞、図面工作による情操教育。
杉の木の校舎掃除から学ぶ清廉潔白さ(潔さ・清しさ・美しさ・素直さ・誠実さ)。」
と、こんなものだ。更に、籠池氏の挨拶文の中にこんな表現もある:「世界で歴史・伝統・文化の一番長い國である日本。その中で積み上げてきた日本人のDNAの中に「人のために役立つ」という精神が刻み込まれていますし、世界で一番混じりっけのない純粋な民族であります。真心・誠心・正直・おもてなしの気持ちが他の国の人たちより強く深いので、人の役に立つ人材が輩出されています。世界が羨むほどノーベル賞受賞者が多い理由でもあります。日本に生まれてきてよかったと思えば、学業にも力が入るものです」。日本人単一民族説、優越民族説、日本至上主義。偏狭な国家主義ですな。安倍首相が著書「美しい国へ」で賛美したナショナリズムそのものでしょう。天皇陛下を敬愛し、教育勅語にも美しい部分があると思う私にとっても、これはいただけない。これに感銘を受けるとは、昭恵さん、やはりあなたも相当の右翼ですね。家庭内野党という汚名をあえてかぶる内助の功、感じ入ります。
「化けの皮」は意図的にかぶるものだが、人々の誤解により、かぶせられてしまうこともある。これはまあ、単に誤解されていると呼ぶべきであろうが。思うに、新渡戸稲造ほど誤解されている有名人も少ないのではないか。思想的に右から左まで、熱烈な新渡戸ファンと新渡戸を敵視する人々がいる。「武士道」の著者であると言うだけで、それを読んだこともない右翼シンパから近親感をもたれる。彼らが松山事件を知ったら何と言うであろうか。「化けの皮がはがれた」と? 旧教育基本法を改定する議論の中で、新渡戸の精神を取り入れるべきだと言った文部科学大臣がいた。新渡戸が、「政治は決して教育機関に口出しすべきではない」と書いているのを知ったら慌てて口をつぐんだであろう。新渡戸の植民論と言う言葉から彼を西欧的な植民地主義者として敵視する左翼もいる。一方で新渡戸の弱者に寄り添う姿勢から新渡戸門下からはリベラルな人々や、左翼思想の持ち主が多くでた。
こんな状態だから、新渡戸ファンの中にも色々いる。新渡戸のあまりに多岐にわたる活動の一部を捉えて、その部分のファンになるものも少なくない。更に彼の全体像を理解しているであろう人々でも、なぜか彼を独占したいという意識が芽生えるようだ。誰かが書いた新渡戸の伝記にもその様な感想が書かれていた。新渡戸の名前を冠した組織が、なぜか協調、協力出来ていない。組織をになう人々の人的要因が問題なのだ。新渡戸の思想にほど遠い人々が、少しでも近づきたいと願ってファンになるのだが、近づききれない故に偏狭になってしまうのか。With malice toward none, with charity for all. 新渡戸の名前を冠した組織なら、新渡戸の心を持ってほしいものである。
おや、もう一つ「化けの皮」がはがれた事件があった。自由の国、民主主義の国・アメリカの化けの皮である。化けの皮をはがしたのはアメリカ人自身であった。国民の半数が、差別主義、白人優越主義をあからさまにしたトランプ氏を支持しているのである。この醜い本音を露出してしまったアメリカはどこに行くのだろう。自らの醜さに辟易するまで、どのくらいの時間が必要なのだろうか。一度膿を出し切ることが必要だとは思うが、出て来た膿がアメリカ全体を腐らせてしまわないことを願う。国民の半数はまだアメリカの良心を持ち合わせているようだから、この膿の悪臭に国民が辟易し、浄化に進む時が来ることを願う。
いずれにしても、「化けの皮」は他人に対して自分をよく見せるための皮らしい。だからはがれると「なーんだ」とひんしゅくを買う。どうせなら化けの皮なんてかぶらない方がいい。そういう意味ではトランプ氏はむき出しだなあ。
「化けの皮」は意図的にかぶるもの、それに対し、他人がかってに必要以上に高く評価してしまうことを「買いかぶり」と言う。両方ともかぶり物をはずされると、なーんだということになる。かぶり物はないに超したことはない。(毒舌学者)
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