「少女像に折り鶴を送りませんか。世界各地に建てられた少女像、日本に対する嫌がらせのようにも取れますが、一方で、こうした行為の裏には、戦争によって凌辱された女性や弱者を悼む気持ちが込められているのも事実だと思います。今も世界のどこかで戦闘が行われ、弱者が犠牲になっています。私たちは、あえて、この像は、慰安婦をはじめ、全ての戦争で性奴隷とされた女性や犠牲となった(ている)弱者の象徴であると思いましょう。平和を願い、再びこのようなことを起こしてはいけない、起こってはいけないという思いを込めて、少女像に折り鶴を送りませんか。」という趣旨の文章を北海道新聞の「読者の声」欄に投稿してみた。採用になるかどうかは分からないけれど、民族間、国家間のこうした恨みや怒りの応酬はどこかで断ち切らなければなりません。
思い起こされるのはやはり、パールハーバーでの演説で安倍首相も引用した「何人にも悪意を抱かず、全ての人に慈愛を持って」というリンカーンの言葉。そして、オバマ大統領の「憎しみの炎に心が煮えたぎる時にも、民族主義が高揚して来た時にも、内向きになってはいけない。自分たちと違う人々を悪人に仕立て上げてはいけない」「全ての人々の心に共通の内なる尊い光を目指し、お互いのために努力しなければならない」という言葉である。少女像を作った人の心の中にある、「このようなことが再び起こってはならない」という願い、戦争の犠牲者に対する慈悲の心は世界の人々に共通の心であると思います。
少女像を嫌がらせと全否定するのではなく、この像を製作し、設置した人々の心にも私たちと共通の心があることに思いを致し、より美しい心、尊い心に共感の意を表しましょう。少女像に折り鶴を送りませんか。直接行けるなら、花を捧げませんか。直接行けない人は、最寄りの駐日韓国領事館か大使館に趣旨(くれぐれも、嫌味にならないようにお願いします。)を書いて、折り鶴を少女像に送り届けていただけるようにお願いしてはどうでしょう。(毒舌学者)
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