遠友夜話7 神なき知育は知恵ある悪魔を育てる

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玉川大学の入り口の黒御影石に刻まれているという。「全人教育」という言葉を初めて用いた玉川学園創設者小原国芳の教育思想を表す言葉である。原典はワーテルローの戦いでナポレオンに勝利した初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの言葉とも、ガリレオの言葉とも、あるいは、ガリレオの生国イタリアのある地方の古くからのことわざとも言われる。知育の前に徳育の重要性を強調した言葉であり、原典が定まらないのは、広くヨーロッパではこのような教育観があったということであろう。

前回紹介したクラーク博士に関する論文の中に、彼がドイツ留学中に彼の父に送った手紙の内容が記載されている。「ドイツの科学における先進性は認めなければならないが、ニューイングランドは信仰の地である。真に霊的なる信仰が学問における最高の到達点と結びついたとき、その地の何と幸せなことか。私はこのことがいつの日かアメリカにおいて最初に実現されると信じてやまない」。筆者は「クラークの人生はこの理想の実現にささげられたと言ってよい」としている。当時はアメリカよりもドイツが科学の先進国だった。その国にあって彼が感じたのは、故郷ニューイングランドの人々の信仰の厚さであった。そのような地でこそ、「神ある知育」が人々を高みへと導くことが実現できると考えたのであろう。

クラーク博士が来日し、黒田清隆とクラークたち米国人教師が、東京外国語学校や開成学校から選別した学生を伴って、海路、玄武丸で函館、小樽を経由して陸路札幌に向かう途中、船中での学生たちの行状の悪さを見た黒田が激怒して、クラーク博士に学生たちの徳育を依頼した。クラーク博士は我が意を得たりとばかり、「自分は横浜で、宣教師ギューリックから30冊の聖書を貰い受けた。これを用いて徳育を施したい」と述べる。クラークにとって、そして当時の西洋の教育者にとって、徳育=聖書教育だった。新渡戸稲造も留学中にベルギーのド・ラブレー教授に「日本では宗教を教えないで、どうやって道徳教育を施すのか」と問われたことが、「武士道」執筆のきっかけの一つになっている。当初、黒田は聖書の使用はまかりならぬとはねつけたが、後に、クラークがよく札幌農学校をまとめ教育成果をあげつつあるのを見て、黙認する。こうして聖書による徳育を施されたのが、初期札幌農学校の生徒たちであった。クラークの去った後ではあったが、新渡戸ら二期生もその影響を濃厚に受けている。それが新渡戸の人格主義教育論に結びつき、また、彼が夜学校生徒たちに与えた言葉、「学問より実行」に結びつく。

国は道徳教育の必要性を論じて久しいが、この国で道徳教育が最も必要なのは、国民の見本となるべき政治家や官僚であろう。どこかの都知事の行状はもちろんであるが、それを攻めきれない政治家たち。叩けば自らの体からホコリが出るからであろう。さらに言葉を重ねて白を黒という政治手法。憲法解釈もその一つだ。そもそも、錦の御旗を偽造して明治維新を実現させた薩長政権の初めから、政治に二枚舌はつきものになった。「尊王攘夷」がいつの間にかころっと「開国」。「鬼畜米英」と言っていた当人たちが、戦後はころっと親米路線。言葉のなんと軽くなってしまったことか。「武士に二言はない」「武士は食わねど高楊枝」かつての支配層にはこれくらいの矜持はあった。薩長政権以来の支配層は二枚舌三枚舌。どこかの首相も2年前に「消費税増税再延期はしないと断言します」と言ったばかりなのにサミットまで利用して再延期の口実を作り延期を決めた。増税延期はありがたいが、「断言する」という言葉はそんなに軽いものなのだろうか。長州の二枚舌に我々はいつまで騙されなければならないのか。こんな人々の導く道徳教育とは? まず、自ら率先して道徳教育を受けていただきたいものである。

大学の教育者・研究者にも問題がある。限りある文部科学省の科学研究費は、競争的研究資金と呼ばれ、その獲得は容易ではない。そこへ防衛省が多額の研究費の助成をちらつかせる。防衛省の研究費となれば、研究成果の軍事への応用は当然のことであろう。科学者の良心が試されている。「自分のこの研究が軍事へ応用されるとは思っていなかった」では済まされないのである。科学者たるもの、その程度の想像力はなくてはならない。金をちらつかせる悪魔のささやきに魂を売り、自ら知恵ある悪魔となる研究者は沢山いるようだ。平成27年にスタートしたこの制度は、今年の募集もやっている。「神なき知育は知恵ある悪魔を育てる」。研究者も教育者も心しなければならない戒めである。(毒舌学者)

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