作文・論文コンクール審査結果

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札幌遠友夜学校創立120周年記念 作文・論文コンクール審査結果

審査委員長 三島徳三

 

「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」が遠友夜学校創立120周年を記念して行った作文・論文コンクールに、一般の方から3編の論文の応募がありました。しかし残念なことに、小学校・中学・高校・大学・大学院の生徒・学生からの応募はゼロでした。これは私たちの宣伝不足も原因と考えられますが、明治27年に新渡戸稲造夫妻によって始められ、太平洋戦争中に閉校を余儀なくされたこの高貴な事業が、戦後70年を経て今や世間から忘れさられていることの反映とも言えます。

一般からの応募テーマ(指定課題)は、「新渡戸稲造の『武士道』と札幌遠友夜学校に学ぶ」が1編、「新渡戸稲造の思想と札幌遠友夜学校の今日的意義」が2編でしたが、ここでは優秀賞を受賞した2つの論文について、その全文を掲載いたします。

来年度以降の作文・論文コンクールの開催については未定ですが、新渡戸稲造の思想と札幌遠友夜学校の実践が、混迷する現代社会の方向に与える示唆は大きく、会としては事績を若い世代に伝える努力を継続していく所存です。

今後とも皆様方に暖かく見守っていただけるよう祈念し、ごあいさつと致します。

 

応募作3編について、去る4月15日に審査委員5名で審査委員会を開催し(1名は文書参加)、慎重審議の結果、下記の結果を得ましたのでご報告申し上げます。

優秀賞 須田 洵(まこと):「新渡戸稲造の思想と札幌遠友夜学校の今日的意義」
谷口 稔:「新渡戸稲造の『武士道』と札幌遠友夜学校に学ぶ」

佳作  中島悠介:「新渡戸稲造の思想と札幌遠友夜学校の今日的意義」

 

以下、審査委員会での議論をふまえ審査委員長としての講評を申し上げます。

 

  • 須田氏の論文について

この論文は1.新渡戸稲造と「札幌遠友夜学校」、2.戦後70年、民主主義70年、見えてきた重い課題、3.これからを考えるー札幌遠友夜学校精神に学ぶべきことー、の3部構成になっておりますが、頁数では多くのボリュームは1.で占められています。1.では初めに新渡戸稲造に対する投稿者の評価を5点にわたって行っていますが、5点目に新渡戸のアメリカとの関係に触れ、後段で投稿者が論ずる現代の「日本と米国との関係論」への「導きの糸」としております。

次いで遠友夜学校がどのような経緯と特色をもっていたかについて解説しておりますが、その中で目を引くことは、投稿者である須田氏の両親および妻の父親が、遠友夜学校の教師および生徒として関わっていたことについて、エピソードを含めて紹介していることです。

1.の最後は遠友夜学校の今日的意義について、投稿者の考察を加えておりますが、とくに注目されることは、校名の由来である「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」の論語の一節と新渡戸の札幌遠友夜学校訪問時の訓話に触れ、そのグローバルな意義を指摘していることです。

2.では戦後70年をにらんで投稿者の現代社会論が縦横に展開されています。全体として論文では戦後民主主義の「負」の側面と現代経済への不安感が強調されています。

3.では故・石塚喜明元北大農学部教授(遠友夜学校の功労者)の書物を参考にしながら、「経済(イケメニア)にはヒューマニズムが必要なこと」を力説しています。これは新渡戸が遠友夜学校の校是としたリンカーン精神(慈悲の心)にも深く関わっています。

そして3.の最後では現代から将来に向けての課題と具体的取組方向を列挙し、その中心にすでに触れた遠友夜学校の精神が置かれるべきことを強調し、論文を結んでいます。

このように投稿論文は、新渡戸稲造の業績と遠友夜学校50年の実践を高く評価したうえで、その尺度から現代社会の問題点に切り込んだ、意欲的かつ壮大な内容をもった論文として評価することができます。もっとも、論文内容があまりにも多岐にわたり、少し欲張りすぎたとの印象は免れません。とくに現代社会論としては未消化の部分が少なくなく、専門家の目からみれば不十分さが残ることは事実です。しかし、自身の両親らの遠友夜学校への関わりを歴史に残そうとしていること、自らの官界での経験などから現代社会への提言を「遠友」にからめて行おうとしたこと、など論文にかけた情熱は読むものの胸を打つものがあります。

よって審査委員会では須田氏の投稿論文を優秀賞として認定しました。

 

  • 谷口氏の論文について

氏は中等教育における32年間の教師経験をふまえ、新渡戸稲造の「武士道」精神と遠友夜学校の実践が、今日のさまざまな教育問題解決のヒントを与えているのではないかとの問題意識からこの論文を書いたものと思われます。

「はじめに」では「現代のように受験勉強に傾斜した学校教育、学歴だけで人を判断する傾向のある社会の中で、その人の人格そのものが大切であるという」、新渡戸と遠友夜学校の教えはもっと見直されるべきと述べ、論文執筆の動機を吐露しています。

「武士道」と「遠友」という、一見無関係なように見えるこの二つの事項の共通点として氏は、「デモクラシーの思想」と「愛に基づく自己犠牲の精神」を挙げています。前者は新渡戸が武士道の延長線上にまとめた「平民道」と同義であることは後段で指摘されます。

論文は1.武士道、2.遠友夜学校の2部構成となっています。

まず1.では新渡戸「武士道」の通説的な説明に留まらず、自身の教師経験からその現代的意義に触れています。例えばいまの学校教育現場で問題となっている「いじめ」に対するとき、必要なことは新渡戸「武士道」に書かれている「仁」「智」「勇」であるとし、これが「義なる社会」に不可欠であることを指摘しています。

その他、忠義など「武士道」の徳目について解説していますが、「武士道」精神について論文がもっとも強調するのは「自己犠牲」の精神であり、この言葉と平民道(氏の表現によれば、「万民挙げて上下を論ぜず、男女の区別なく、職業のなんたるかを問わず、相互の人格を尊重する社会」)を結節点に、次の「遠友夜学校」の実践に接近していきます。

2.では「遠友夜学校」の評価すべき特徴について、「授業・カリキュラム」「教師の姿勢」「生徒の態度」「男女共学」「特別活動(課外活動)」など、自身の教師経験にも触れながら解説しています。

後段では、新渡戸の遠友夜学校訪問時のメッセージを引用しながら「自己犠牲」の精神の重要性を再度指摘し、「ただ、本を読み、算術をするのが学校の仕事だと思わず、人格を養い、明るい気分で、世の中の人のためになるように心掛けることが大切な教育である」ことを新渡戸教育論のエッセンスとして強調します。

そして最後に「現代の教育が遠友夜学校から学ぶべきもの」と題して、私見を述べ、論文を締めくくっています。

その第一は、「上から威圧的に教える」「上からの目線で話す」ことが教育ではなく、生徒の身になって考えることの必要性です。

第二は、生徒が自主的に自分のできることをさせ、授業などにも参加させることです。

第三に、教育は人格を高めることを目標にすべきことです。

氏は、これら3点は、いずれも遠友夜学校の実践から教えられることとしています。

以上みてきたように、谷口氏の論文は、長年にわたる教師経験と照らし合わせながら、新渡戸「武士道」と遠友夜学校の実践を特徴づけ、その学校教育への意義を説得的に語ったものとして評価できます。

よって審査委員会は、谷口氏の投稿論文を優秀賞として認定しました。

 

  • 中島氏の論文について

精力的に関係文献を読み、短時間にまとめ上げた努力は評価しますが、特定の参考文献に依拠しすぎ、投稿者のオリジナルな考察が薄いようです。

よって、審査委員会は中島氏の投稿論文については佳作と認定しました。

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