今年もパールハーバーの日が近づいて来た。忌まわしい日である。破壊と殺戮のために当時の我が国の科学技術の粋を集めて準備し、その成功に国民は歓喜した。その炎の下に逃げ惑う人間の苦しみを想像だにしなかった。敵と呼ばれる同じような人間が飛行機に乗ってやって来て、日本の空を焦がし、海の向こうから歓喜の声が聞こえて来た時、庶民は自らの想像力の欠如を思い知った。
科学者も技術者も、自分の発見や技術が世の人々の幸せに繋がることを信じて科学者や技術者になったのではなかったか。それが殺戮や破壊に利用されるなどと言うことは、自分の人生を否定する程の悲しい出来事ではないのか。科学者の集団である大学が軍事研究に加担すると言うことは、大学の理想を根幹から覆すものではないか。
遠友夜話第七話に、「神無き知育は知恵ある悪魔を育てる」という小文を書いた。その最後のパラグラフで、平成27年にスタートした防衛省の軍事・民生デューアルユース可能な技術開発研究に対する助成金のことを書いた。文科省の大学予算は年々縮小される。飢えた馬の鼻面に人参をぶら下げるような、この助成金に魂を売り渡し、人参に食いついて、自ら知恵ある悪魔となる研究者がいるようだと書いた。こともあろうに、北大からもそのような研究者が現れた。
船底に気泡の膜をつくり水の抵抗を少なくして船のスピードを上げる研究だと言う。船の燃料の節約にもなり、CO2の削減に一役買う素晴らしい研究だと言う。確かにそうだろう。だが、その素晴らしい研究を軍事に利用しようと言う意図を持つ助成金で行うことに良心の呵責はないのか。潜水艦や魚雷に応用され、より殺傷能力の高い兵器の開発に繋げようという意図は明白である。これを悟るのにさしたる想像力はいらないはずだ。
研究成果発表の自由があることが本人の判断の基準の一つであったようだ。だが、発表の自由が保障されているからと言って、その研究が軍事に転用されることはないだろうというのはあまりに都合の良い解釈だ。資金を出す方は、デューアルユース可能な研究と言っているのだ。カタカナで書かれるからピンと来ないのか?「軍事・民生両方に応用可能な」という意味である。軍事転用可能な民生技術の研究に金を出すと言っているのである。
更に、今は研究成果の発表の自由が認められると言っているが、いざ発表段階となったとき、別スジから特定秘密保護法に抵触すると言われればそれまでだ。内閣官房の「特定秘密の保護に関する法律」説明資料によれば、行政機関の長が指定する特定秘密が別表という形でまとめられている。その第一号に防衛に関する事項がイからヌまで列挙されて居り、その中に、
チ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの仕様、性能又は使用方法
リ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの製作、検査、修理又は試験の方法
とある。発表出来ても制約の中での発表となることは想像に難くない。
発表の自由があろうが無かろうが、そもそも大学という場に軍事研究はなじまない。大学の理念に照らして、あってはならないのだ。そこで宣言一つ。(この宣言は私藤田正一の個人的見解である。「新渡戸稲造と遠友夜学校を考える会」の遠友夜話に記載させていただいてはいるが、以下の宣言は「会」の総意とは無関係であることをここに明記する。個人の発言であるので個人名を記す。)
「大学から軍事研究を排除せよ」
大学は教育研究の場であり、その目標とする所は真理を探求し,正義と平和を希求し、地球人類の福祉に資することである。大学がそれらを追求し、問題を解決する手法としては、叡智と理性に基づく論理的な思考によらなければならないことは言をまたない。力による問題の解決は論理の破綻を意味する。「真理正義と平和を希求し、論理的な思考を手法とする大学」と、論理の破綻から来る「暴力や戦争」とは相容れない。
大学の軍事研究への加担は、真理正義と平和を希求する大学の理念にも理想にも反し、大学の存在意義の根幹にかかわる。さらに、国際紛争を戦争という手段で解決するための技術開発は、理性に基づく論理的手法で問題の解決を計るという大学が守るべき手法に反する。軍事技術開発への協力は問題解決に戦争という暴力的手段を容認することにつながるものであり、大学の理念と手法の双方に対する論理的破綻がここにある。
大学は軍事研究の場であってはならないし、それへの協力の場であってもならない。更に、それに学生を巻き込むことがあってはならない。デューアルユースで、軍事転用可能な民生用技術に研究助成金を出すという防衛省の軍事転用の意図は明白である。そこから大学の研究室が資金を受け取ると言うことは、その研究室に配属された学生、院生に、大学のあるべき姿に反する研究に従事させることにもなるのである。大学は英知をもって平和的に問題を解決する方法を追求する場であり、これに反するものは排除しなければならない。
北海道大学は今から140年前、我が国初の学位を授与出来る大学・札幌農学校としてその産声を上げた。クラーク博士がもたらした自由と民主主義の思想を継承し、我が国の教育に於ける民主主義の源流を為したと評される輝かしい伝統を持つ。非戦平和を唱えた内村鑑三、「日本の国を危うくするものは軍閥である」と発言して命を狙われる程のバッシングを受けながらも、日米開戦回避に血のにじむような努力をした新渡戸稲造、そして、軍事教練や自治への弾圧にささやかな抵抗を繰り返した恵迪寮生たちがいた。新渡戸稲造が設立し、北大生達が無償で教えた貧しい子供たちのための学校「札幌遠友夜学校」は「軍事教練を課せ」との命令に従わず、平和主義を貫いて閉校とされた。対するに設立当初の理想を忘れ、国家主義体制の歯車へと組込まれていった北海道大学当局の戦争政策への無批判・協力姿勢があった。先の大戦へと向う時代に北大とその関係者が歩んだ道を俯瞰し、再び歩んではならない道を歩むことの無いよう、せつに願う。
また、戦後においても北海道大学はかつて中谷宇吉郎博士が行おうとした軍事研究を大学から排除した歴史を持つ。かつての北海道大学は、大学の理念と使命を認識し、確固たる良心を持っていた証である。
今回は北海道大学が、軍事に転用可能な技術に関する研究を、それを目的とした防衛省からの予算で行うことを、研究戦略室幹事会で承認してしまった。これは北大が機関承認したことに他ならない。むしろ北大は歴史を振り返り、軍事研究に加担しないという宣言をすべきであったのではないか。私は、このことに強い憂慮の念を抱き、抗議の意を表するものである。(藤田正一 元北海道大学副学長)
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