歴史散歩2026
9月5日(土)・12日(土)の2回にわたり、新渡戸遠友リビングラボの「歴史散歩2026〈秋コース〉」を開催しました。
今回のテーマは、
「はじめにナナメありき!?」
です。
札幌建築観賞会代表の杉浦正人さんを案内人にお迎えし、歴史の古い札幌市東区を散策しました。
2回の参加者は合計38名。
普段何気なく歩いている街並みに隠された、札幌の開拓の歴史を学ぶ貴重な機会となりました。
東区民センターの「からくり時計」から歴史散歩スタート!
今回の歴史散歩は、東区民センター前からスタートしました。
午前10時ちょうどに「からくり時計」のメリーゴーランドを観賞し、いよいよ散策に出発です。
東区役所・ニュー札東ビルを経て、最初に訪れたのは大覚寺。
こちらでは、美しく彩色された五百羅漢を見学しました。
さらに、かつて東区でリンゴ栽培が行われていた歴史についても学びました。

橘林檎園の創始者である橘仁は、津田塾大学の創設者として知られる津田梅子の父・津田仙から、東京で西洋農業を学んだそうです。
現在の札幌の街並みからは想像しにくいですが、東区には農業の発展を支えた先人たちの足跡が数多く残されています。
タマネギ倉庫と札幌軟石に見る東区の歴史
東区を歩くと、札幌軟石で造られた倉庫があちこちに残されていることに気づきます。
これらの中には、かつてタマネギの保管に使われていた倉庫もあります。
現在では別の用途に活用されながら、今も現役の建物として使われています。
札幌村では、札幌農学校のブルックス博士の指導などによって、タマネギの「札幌黄」を中心とした農業が発展しました。
東区に残る札幌軟石の倉庫は、こうした農業の歴史を今に伝える貴重な存在です。
札幌最古の寺院・本龍寺と大友亀太郎の功績
続いて訪れたのは、本龍寺です。
本龍寺は、慶応3年(1867年)に大友亀太郎によって建立された妙見堂に始まる、札幌最古の寺院です。
大友亀太郎は、札幌の開拓に大きな役割を果たした人物です。
慶応2年(1866年)には、一日40〜50人の人夫を動員し、わずか4か月で約4kmに及ぶ「大友堀」を掘削しました。
この大友堀は、明治7年(1874年)に岩村通俊判官によって「創成川」と改称されました。
札幌の発展を支えてきた創成川にも、こうした開拓の歴史があったのです。
札幌村郷土記念館で東区の歴史を深く学ぶ
散策の最後には、札幌市立札幌村郷土記念館を訪問しました。
こちらでは、大友亀太郎による開拓や、札幌村で発展したタマネギ栽培など、東区の歴史に関する貴重な資料を見学しました。
館長の山田治仁さんからは、床に敷かれた地図を使いながら、熱心にご説明いただきました。
東区は、明治時代よりも前から開発が始まっていた、豊かな歴史を持つ地域です。
現在の街並みの中にも、当時の開拓や農業の面影が残されていることを改めて知ることができました。

なぜ東区には「ナナメ」の道があるのか?
さて、今回の歴史散歩のテーマは「はじめにナナメありき!?」でした。
札幌の道路といえば、碁盤の目のように整然と区画されているイメージがあります。
ところが、東区には道路が斜めに走っている場所があります。
なぜなのでしょうか。
その理由には、かつてのフシコサッポロ川(伏籠川)の存在が関係しているようです。
道路を川の自然堤防に沿わせる必要があったことや、幕末に設けられた「御手作場」の用地だったことなどが、現在の道路の形に影響していると考えられます。
つまり、今の道路の形そのものが、札幌の開拓の歴史を物語っているのです。
普段は何気なく通っている「ナナメの道」にも、実は深い歴史が隠されていました。
身近な街並みから札幌の歴史を再発見!
今回の歴史散歩では、札幌市東区に残る寺院や石造倉庫、開拓の史跡などを巡りながら、幕末から明治にかけての札幌の歴史を学びました。
東区は、明治以前から開発が始まった歴史ある地域です。
その歴史が、今も道路の形や建物、地域の文化として残されていることを知り、参加者の皆様にも大変満足していただけた散策となりました。
2回にわたってご案内くださった杉浦正人さん、札幌村郷土記念館の山田治仁館長、そしてご参加いただいた38名の皆様に心より感謝申し上げます。
新渡戸遠友リビングラボでは、今後も札幌の歴史や文化を学び、地域の魅力を再発見する活動を続けてまいります。
今後の歴史散歩にも、ぜひご期待ください。











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