遠友夜話9 トト姉ちゃんのトト

NHKの朝ドラ「トト姉ちゃん」は「暮しの手帖」を創刊した大橋鎮子の実話に基づいているが、鎮子の父親は本名を大橋武雄と言う。優しく、子供を叱る時には悪いことは悪いとしながらも、子供の人格を尊重し、きちんと自分の考えを持っていたことについては褒める。家の中では当時の父親像と違って、亭主関白ではない。義を通さなければならないところはきちんと通す。そんな父親像が描かれている。この時代にこんな父親像とは、もしや、と思い調べてみた。やはり彼は北大出身でした。遠友夜学校の学生先生や、明治45年寮歌「都ぞ弥生」の作詞者横山芳介、あるいは有島武郎を彷彿とさせる人間性だが、実は、彼はその有島武郎の教えを受けていた可能性も極めて高い。大橋武雄は大正2年に北大予科に入学、同時に恵迪寮に入寮している。有島武郎が札幌を去るのは大正3年であるから、少なくとも1年間は、両者は重なっていることになる。有島は予科の学生や寮生とよく交わっていた。有島の影響を受けたことは確実だろう。こうした当時の北大生の特質は、元を正せば、新渡戸稲造、そしてクラークへとつながる札幌農学校の個を尊重する民主主義的教育に遡ることができる。

大橋鎮子の創刊した「暮しの手帖」も、大橋の父親が北大生だった時に教えを受けたであろう、森本厚吉や有島武郎らが後に創刊した「文化生活」と目指すところに共通点がある。父を通して、なんらかの影響が鎮子にリレーされて行ったのだろうか。「トト姉ちゃん」の脚色が、一家が北海道に住んでいた事実をすっかり無視して、架空の出身地になってしまっているので、こうした考察は一切でてこない。ドラマではトト姉ちゃんが金儲けばかりを考えていたように描かれているが、「私利私欲の充足や名声のためにではなく、知識や正義、世の人々の向上のために、そして、自己の人格の完成のために大志を抱け」とする札幌農学校思想の影響を受けた父親の娘である。金儲けだけが彼女のドライビングフォースではあるまい。「暮しの手帖」にも「知識や正義、世の人々の向上のために」という思想が流れているように見えるが、脚本にそこまでの掘り下げは無い。ドラマではこうした思想は編集長の花森安治(ドラマでは花山)の思想として描かれているが、大橋鎮子にもそれを受け入れる父親譲りの価値観があったのは間違いないだろう。

ついでに愚痴を言うならば、戦前、戦中、戦後という激動の時代を扱っていながら、臨場感が極めて薄い。現代の世相と比較して社会風刺の一つも出来そうなものだが全くない。「暮しの手帖」編集長の花森安治が、戦中に戦争を煽ったことの反省から「暮しの手帖」1970年10月号の「見よぼくらの一銭五厘の旗」で示した反戦思想は、おそらくドラマには登場しないのだろう。前回の朝ドラ「あさ」では、風刺やウイットで今日の世相に対する健全な批判がちりばめられており、ただの漫画より遥かに見応えがあった。今回の朝ドラは、視聴率が高いそうだが、底の薄い漫画的ドラマに仕上がっている様に見受けられる。これが「自主規制」でなければ良いのだが。製作は前回が大阪局、今回が東京局だが、どうやら、大阪局の方が自由な表現が許される雰囲気がありそうだ。あるいは骨のある脚本家がいると言うことか。

さて、トト姉ちゃんのトトは札幌との関係は大有りなのだが、編集長の花森安治と札幌との関係と言えば、花森が1954年に週刊朝日に書いたエッセイ「日本拝見その12 札幌――ラーメンの町――」のおかげで札幌ラーメンが全国的に有名になったことがあげられる。このエッセイの中に、当時の札幌の描写があり、なかなか鋭い批判もあって興味深い。このことについては、札幌の姉妹都市、ポートランドの街の様子とあわせてまたの機会に考察する。(毒舌学者)

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