遠友夜話8 ススキ

昨日の平成遠友夜学校のために、常連の中井玉仙さんが庭に咲いたというキキョウとエゾキスゲの花を持ってきてくれた。8月に入ってから暑い日が続き、夏たけなわといったところだが、自然界の植物は日照時間が短くなったことを確実に捉えている。札幌市南区の公園では早くもススキが穂を出し、萩の花が咲いていた。フジバカマの仲間のヨツバヒヨドリも今を盛りと咲いている。我が家の近くの道端にはコスモスの花も咲いている。秋近しの感がある。キキョウ、ススキ、萩、フジバカマは秋の七草の一つである。オミナエシ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、フジバカマ、クズ、萩が秋の七草とされている。頭文字をとって、「おすきなふくは」と覚えるのだそうだ。森を歩けば、桜やナナカマドの葉の中に、驚くほど鮮やかに色づいているものがある。今年の立秋は8月7日。暑さの盛りにも秋の気配あり。人の世の栄枯盛衰と結びつけて考えてしまうのは四季のはっきりした日本人ならではであろう。

北大恵迪寮の寮歌「都ぞ弥生」は北海道の大自然の移ろいを見事に歌い込んだ名歌で日本三大寮歌に数えられているが、恵迪寮同窓会ではこの寮歌を各国語に翻訳している。ドイツ語、英語、中国語、韓国語、アイヌ語、スワヒリ語等々。まだドイツ語への翻訳が完成したばかりの頃、「翻訳して何になるんだ」と異を唱える人がいた。私はすぐに、「知的遊びでしょう」と言った。遊びには大それた目的はない。楽しめば良い。議論はそこで終わった。次々にいろいろな言語に翻訳する人が現れた。私の北大獣医学部の同期で応援団の仲間であった人物がいる。彼は、獣医学部卒業後もアルバイトをしながら人類学を学び、その関連でスワヒリ語に興味を抱き、当時東京外国語大学にいたスワヒリ語の大家の鞄持ちを無給で買って出たりして、苦労してスワヒリ語を学んだ。彼は大阪外国語大学(いまは阪大と合併している)の教授となった。彼が「都ぞ弥生」のスワヒリ語への翻訳をした。その翻訳を現地の人に見せても、意味はわかるがピンとこないというのである。現地には四季がない。1年中夏なのである。雪も見たことがない。春の芽吹きも知らない。四季の移り変わりなどに実感が全くないのだという。カレンダーがなければ1年のサイクルも認識されずに過ぎてしまうのかもしれない。住む場所の風土により人びとの感性はずいぶんと違ったものになるのだろう。四季の移ろいを愛でることのできる日本に生まれたことを幸せに思う。

それにしても、近頃の季節の移り変わりのなんと加速したことか。子供の頃は夏休みさえ無限に長く感じた。最後の数日を除いてだが。それにひきかえ最近は、つい先日までキビタキやセンダイムシクイがこの世の春をさえずり、福寿草やエゾエンゴサクやミズバショウが咲きみだれ、木々の初々しい緑の芽吹きが眩しかったのに、もはや秋声を聴く。私も今年で6度目の申年。しかれども未覺池塘春草夢の感あり。毒舌ばかりで学成り難し。反省(なら猿でもできる)。
(毒舌学者)

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