「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」設立趣意

<はじめに>

 新渡戸稲造生誕150年を記念して、2012(平成24)年12月に札幌で、「札幌青空会」(会長 山田一男)主催による記念講演会が催されました。これは基調講演の表題である「新渡戸稲造と遠友夜学校」、「創成川東地区の歴史的環境〜豊平川から創成橋〜」から明らかなように、新渡戸稲造と遠友夜学校と創成川東をつなぐ歴史の再確認でした。参加者は、遠友夜学校の底流に流れる清き精神を源とする教育が、この地で50年もの間実践されていた事実を再認識し、新たな感動を覚えました。と同時に、近年、札幌に暮らす者が、遠友夜学校のあった土地が放つメッセージをどこまで受け継ぎ、その精神を次世代に伝えるような活動を十分してきたのだろうかと、大きな反省もせざるを得ませんでした。

 記念講演会が終わるや、参加者の間からは、2013(平成25)年の「新渡戸稲造没後80年」の記念すべき年に、創成川東の跡地からその歴史的意義を国の内外に広く伝えるとともに、その高邁な精神を繋いでいく責務があるのではないかという共通の認識が生まれました。

<設立趣旨>
新渡戸稲造と「札幌遠友夜学校」
 新渡戸の足跡・業績はすでに多くの方々によって示されているので繰り返しません。世界を舞台に活躍した新渡戸ですが、札幌なくして国際人・新渡戸稲造は誕生しなかったと言っても過言ではないでしょう。
 新渡戸は人生の重要な時期に二度札幌で暮らしています。一度目は札幌農学校2期生として学んだ1877(明治10)年から1881(明治14)年までの4年間と、続いて開拓使御用掛として働いた1883(明治16)年までの2年間、合わせて6年間です。二度目は札幌農学校教授として赴任した1891(明治24)年から1897(明治30)年までの6年間です。
 二度にわたる札幌時代の間の時期に、新渡戸はアメリカとドイツで学び、メリー・エルキントンと結婚しています。そして、札幌遠友夜学校の源はこのアメリカ留学中の1885(明治18)年、24歳の若き新渡戸が抱いた夢に遡ります。それは「札幌市民学園」構想の一つでもあった貧しい家庭の子弟にも教育の機会を与えたいという篤い思いであり、その志は、1894(明治27)年、創成川東の地に「札幌遠友夜学校」を開校することによって実現します。これにはメリー夫人の実家に生涯仕えた一孤児の老婦人の1,000ドルの遺贈という時宜を得た後押しがありました。新渡戸は札幌農学校の教授を務めるかたわら、札幌遠友夜学校の初代校長として自らボランティア活動の先頭に立ち、地域の子弟のために尽くしました。札幌の地を離れた後も新渡戸の心には常に札幌遠友夜学校があり、1931(昭和6)年5月18日、来札中の新渡戸はここを訪れ、各教室の授業をみたり感銘深い講話をしたりした後、有名な「学問より実行」など6点を大書されました。

「札幌遠友夜学校」の精神と創成川東の歴史的意義
 この学校の活動は、開校時から戦争末期の1944(昭和19)年に閉校になるまで50年間、札幌で脈々と続きました。設立者・新渡戸と共に、純粋な奉仕の精神から50年の歳月に及んで学校を支えた600人以上に及ぶ札幌農学校/北大の学生達。また、彼らの下で学んだ生徒数は、一時在学者を含めると数千人(正式卒業生は1,116名)になるでしょう。教える者と学ぶ者、双方の勉学に対する熱意に深く感動します。
 札幌遠友夜学校は北海道庁から1916(大正5)年に「私立学校」の認可を、続いて1923(大正12)年に「財団法人」の認可を受けて運営にあたります。この法人格は閉校後も継続していましたが、1962 (昭和37)年に、札幌市が勤労青少年ホームの建設地を探していた折、当時の理事会が次の3つを条件として土地を札幌市に無償譲渡し、同時にこの財団法人を解散しました。

(1) 土地は新渡戸博士の考えの具体的表現だった遠友夜学校の跡であることを表示し、その目的に添った利用をして行くこと。
(2) 敷地内にできるだけ空き地を設け、近所の遊び場にすること。出来るならその一隅に夜学校記念碑を建てること。
(3) 新しく出来る勤労青少年ホームに一室を設け、札幌と新渡戸博士との関係を語る史料を展示しその精神を伝えること。
(『さっぽろ文庫18 遠友夜学校』28頁)

 こうした動きと並行して、1948(昭和23)年7月、札幌遠友夜学校で教えを受けた者によって創成川東の地に「札幌青空会」が設立されました。児童と若者を対象とした各種ボランティア活動や後年の留学生との交流等の中に、新渡戸稲造と札幌遠友夜学校の当初の「志」が引き継がれ、今日に至っています。

「札幌遠友夜学校」跡地の放つメッセージ
 3・11東日本大震災を経て、今、私たちは21世紀の行方を模索しています。こうした時だからこそ、札幌市中央区南4条東4丁目の「札幌遠友夜学校」跡地が発するメッセージに謙虚に耳を傾けたいと思います。 メッセージの第一は、新渡戸と彼の志に共鳴した学生たちが、夜間でしか学べない子弟に無償で教育の機会を与えたというボランティア精神の原点です。すなわち、高邁な理念を実践した学生・教師達と、熱心に学んだ地域の子弟の真摯な姿です。
第二は、世界を体験した新渡戸が英語で著したBushido(『武士道』)を通じ、日本文化の本質を世界的展望のもとに見直し、国際社会で活躍できる視野と哲学をもった人材の育成の重要さです。

「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」のめざす活動
 具体的な企画については、この土地の刻む歴史的意義にふさわしい活動を考えています。年齢、性別、人種、職業等による分け隔てのない交流が、地域と世界に幸福と平和をもたらすとの新渡戸の生涯の信念に倣い、地域住民が集い、語らい、議論し、学び、啓発しあえる「場」を提供します。また、この土地の放つメッセージを国の内外に伝え、国際交流を促す活動を企画していきます。

(1)「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校記念館」(仮称)の跡地一隅への建設
(2)赤ちゃんからお年寄りまでの地域住民の学びと交流の場の提供
(3)札幌遠友夜学校記念室と資料・図書の保存・管理、利用者へのサービス
(4)「市民講座」といった継続的な教育プログラムの企画と実施
(5)記念館内に電子資料室を設け、新渡戸稲造と札幌遠友夜学校に関する史料を集約し、国境を越えた情報サービスの提供など

 このような活動の核を、私たちはここ創成川東の記念すべき跡地に置き、世界に誇る真の国際人・新渡戸稲造と札幌遠友夜学校の歴史的意義をこれからの世代に伝える母体として、「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」を設立しました。

発起人(50音順)
秋山 孝二、 池田 光司、 越後 光雄、 北出 孝、 高橋 大作、 常田 益代、 橋本 信夫、 三上 節子、 山崎 健作、 山田 一男、 山本 国男、 吉田 かよ子、和島 朋広

  2 comments for “「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」設立趣意

  1. 西村裕広
    2015/12/19 at 16:07

    はじめまして。札幌在住のフリーライターです。ご寄付させていただくことなどは困難で、また仕事の事情でどこまでご協力が可能かわからないままにご連絡させていただいている次第ですが、私のようなものでよければ可能な範囲でご活動への参加やお手伝いができればと考えております。別のフォームより資料請求させていただきますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。

  2. 金田 優(かねたまさる)
    2017/06/20 at 11:01

    先日別な団体のイベントに参加して記念事業の動きがあることを知った次第です。遠友夜学校の概要については『さっぽろ文庫』を通して知ってはおりました。現状の公園の状況をみて明治の時代にこうした社会教育活動があったことを後世に伝えることは必要と共感しております。
    むろん記念館という箱物で終わることなく設立趣旨にありますように継続的な地域への働きかけも重要と存じます。
    私はすでに職を退き現在は放送大学で学んでおり、学ぶことの楽しさをあらためて感じております。建築士ではありますが専門以外での業務が長くなぜか情報系の仕事もやっておりました。何か私でも地域に貢献できるようなことがあればと考えております。今後貴会で開催される勉強会等がございましたら参加してみたいと考えております。

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