遠友夜話1 「学問のすゝめ」と「学問より実行」

「学問のすゝめ」と「学問より実行」

 昭和6年、新渡戸稲造は27年前に自らが設立し、いまだに校長を務める札幌遠友夜学校を訪れた。既に国際連盟事務次長も経験し、世界的な人物となっていた新渡戸が、貧民窟の片隅の貧しい子供たちのための夜学校を訪問するとあって、生徒達は夢ではないかと天にも昇る気持ちであったと言う。その時彼は子供たちに「学問より実行」を説いて聞かせた。「世のため人のために努力しなさい」「家には40歳すぎてから字をおぼえたばあやがいる。でも彼女は暗闇の太陽のよう。これは真の人間になっているからです。学問とはこういう人になるためにするのです。」貧しい子供たちを前に、「貧困から抜け出すために学問しなさい」と、当時有名な言葉「学問のすゝめ」は云わなかった。学問の目的は人格の完成にある。地位や名誉や金は結果としてついて来るかもしれないが、それを得ることが学問や人生の目的ではない。初期の札幌農学校で教育を受けた者に共通する考え方である。この時、新渡戸は北大にも行き、「人生の目的は地位や名誉や富を得ることではなく、心豊かな人間として完成するにある」と演説している。

 ところで、「学問のすゝめ」の福沢諭吉信奉者に対して「学問より実行」はいかにも露骨に挑戦的ではなかろうか?何か「学問のすゝめ」に文句でもあったのであろうか。あらためて「学問のすゝめ」をひもとくと、冒頭の言は「天は人の上に人を造らず、人のしたに人を造らずと言えり」であった。私の記憶からは「と言えり」がすっぽり落ちてしまっていた。これでは平等は福沢の信条ではなくて、「と言うことだ」という伝聞ではないか。そして、上下の差別無く生まれて来たはずなのに、世の中には貴賤上下の差がある。これひとえに学問したかしなかったかによる。立身出世のためには学問しなさい。と言う趣旨のようだ。とはいえ、学問するだけの金も時間もあるものに対してそういっているのであって、貧しい人たちに学問しなさいと言っているのではない。貧者に同情して彼らに教育の機会を与えよと言っているわけでもない。新渡戸のように学問するにも金のない子供たちに手を差し伸べるわけでもない。
むしろ、福沢は貧者に学問させることを恐れた。「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」(福沢諭吉「貧富痴愚の説」1889)。「貧にして智ある者」を恐れるとは、福沢の軸足がどこにあるかを明確にしている。弱者の側に軸足をおく札幌農学校出身者に取っては確かに違和感以上のものがあったのかもしれない。

 福沢は更にこんなことも言っている:「既に国を開いて海外と文明の面で争い、国際競争の中で国家の生存を計るためには、国内の不愉快はこれをかえりみる暇はない。
たとえ、国民の間に貧富の格差が大きくなって、貧しい者は苦しみ豊かな者は楽をするという不幸があっても、それには目をつぶって忍び、富豪の大なる者をますます大ならしめて、商業上の国際競争に負けないようにすることこそ、急務である」(富貴論 1891) いやああ、竹中平蔵君は平成の福沢諭吉だな。弱者の不幸には目をつぶるのかあ!

 また、福翁百話では、「・・・されば人間の私有財産は或る程度までは単に衣食住の為めなれど、其以上は家計の要に非ず、又必ずしも後世子孫の謀にも非ず、唯智力逞うして高運なる人物が、勢に乗じて天下の財を身辺に集め、又その既に集めたるものを譲受けて遺業を継ぎ、縦横無尽に之を活用していよいよますます増殖を謀り、その勢力の及ぶ所を広くして以て人を悦ばしめ又恐れしめ、乃公(だいこう=自分自身)の一顰一笑(いっぴんいっしょう=ちょっと顔をしかめたり笑ったりすること)能く天下の喜憂を制す恰も乱世の英雄が遠略を事とするの情に等しきのみ。哲学流に考うれば一見小児の戯に似たれども、亦是れ人生に備わる智力発動の一法にして、本人の快楽のみならず、今の不完全なる文明世界に於ては、対外商戦の必要にして、立国の根本と云うも可なり。貨殖家の慾情いよいよ盛んにして、富国の道いよいよ進み、世界中の大欲国にして始めて大富国の名を残すべし。富豪の経営非難すべからざるのみか、国のために姑く敬意を評すべきものなり。」

 なるほど福沢諭吉が国の指導者や富裕層に支持され、1万円札の顔として長命を保っている訳である。それにしても国立大学の授業料値上げ(「貧にして智ある者」をつくらせないつもりか!)といい、富豪を益々富ませようと言う経済政策といい、現政権の政策とそっくりだなあ。

 最後に内村鑑三の福沢諭吉論を一つ。「彼(福沢諭吉)も亦九州人なり、而して天下彼の功労に眩惑せられて未だ彼の我邦に流布せし害毒を認めず、金銭是れ実権なりといふは彼の福音なり、彼に依て拝金宗ははずかしからざる宗教となれり、彼に依て徳義は利益の方便としてのみ貴重なるに至れり、武士(さむらい)根性は善となく悪となく悉く愚弄排斥せられたり、彼は財産を作れり、彼の弟子も財産を作れり、彼は財神に祭壇を築けり、而して財神は彼を恵めり
遠慮なく利慾を嗜みし者は薩人と長人となり、利慾を学理的に伝播せし者は福沢翁なり、日本人は福沢翁の学理的批准を得て良心の鑓責(けんせき)なしに利慾に沈淪(ちんりん:深く沈む)するに至れり、薩長政府の害毒は一革命を以て洗滌(せんでき)し去るを得ん、福沢翁の流布せし害毒に至ては精神的大革命を施すに非ずんば日本人の心底より排除し能ざらむ。」(『万諜報』胆汁数滴 明治30年4月)

 いや、確かに拝金宗の信者いよいよ世に満ちて、今まさに、再び富国強兵の道を進まんとしている。我、毒性学者にあれど、「福沢翁の流布せし害毒」の解毒方を知らぬ。これでは人の批判は書かない新渡戸でも「学問より実行」と云いたくなるだろうな。(毒性学を極められずに毒舌学者になった藤田正一のぼやき)

  1 comment for “遠友夜話1 「学問のすゝめ」と「学問より実行」

  1. 三島徳三
    2016/01/28 at 10:50

     藤田先生の「遠友夜話」における福沢諭吉と新渡戸稲造の学問に関するお話し、たいへん面白く拝見させていただきました。
     2004年11月1日から現在の紙幣が使われるようになり、五千円札は新渡戸稲造から樋口一葉に変わった一方で、福沢諭吉の1万円札はそのまま維持されましたが、これを決めたときの総理大臣は慶応大学出身の小泉進一郎でした。弱肉強食の新自由主義にもとづく構造改革を進めた小泉の考え方の根底に、福沢思想があったのでは、と邪推しています。
     なお、先日第一回が開催された「農業本論学習会」で、私は新渡戸の学問に対する考え方の根底に、「学問の要は概括にある」ことをお話ししました。これは「学問より実行」に通じるもので、専門をボーリングすることを通常とする学者に対する警鐘として受け取るべきものと考えます。

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